novel-34

第三十四話 『昭和の男』の儀式 ※執筆中(限定公開)

「尾上さん、退院おめでとうございます」

「あぁ、ありがとう」

「尾上さん、お元気で!」

「あぁ、看護師の皆さんも大変だと思いますが元気でやってください」

 私はついに地球防衛軍 国立病院機構東京病院の指定感染症隔離病棟の戦士たちに見送られ、ついに結核菌に打ち勝つことが出来た。

 結核の退院には三週間にわたって排菌していないことが証明されなければならない。私は三度の排菌試験で何度もひっかかり入院も早くも三か月を超えていた。

 しかし、私はついに太平洋戦争よりも多くの有望な日本人を殺傷してきた日本史上最強最悪の極悪ウイルスに勝ったのだ。それも人生の中で二度目の快挙であった。

「あなたは正直、もって一年だと思っていました。実に運が強い」

 私はこの病院の先生のセリフを遥か昔に聞いたような錯覚に陥った。

「いえいえ、これも先生たち病院のスタッフのおかげですよ」

 和田医師は私の紋切型の詞を真に受けず聞き流すと、落ち着いた様子でこう繋げた。

「今だから言えますが、ご家族には万が一のことを想定しておいてくださいと正直に伝えていました。打ち勝つ確率は一割にも満たなかったのです」

 私は全くそうは思っていなかった。

「ははは、私は常に勝負の世界ではその一割にいます。先生もう二度と会うこともないかと思いますがお元気で」

 和田医師は全く笑顔は見せずに答えた。

「ええ、尾上さんも、決してこんなところに二度と戻ってこないように節制してください」

 こうしてようやく、最新技術の恩恵を受け退院の許可が出た私は

「やっとシャバの空気を吸えるな」

 と、七十年前と全く同じ感覚で病院の門の後にした。

「尾上さん、もう一度念を押します。二度と煙草は吸ってはダメですよ。つぎに吸ったら死にますよ」

 和田医師の眼は決して笑ってはいなかった。

「ははは、わかってますよ。先生。吸うときは命を懸けますよ」

 さらに和田医師は厳しめに言葉を強め私にこう叱咤した。

「冗談でもそんなことを言ってはダメです。当院の戦士たちの尊い犠牲を無駄にしないでください」

 当然、私はそんな若造医師の言葉など意に介しなかった。

「ははは、先生こそ大げさすぎだ」

 この会話には、命の重みを背負ったような響きがあった。和田医師は私を思って、心からの忠告をしてくれた。しかし私は単なる冗談として聞き流した。

 ──しかし、私は『昭和の男』である。昭和の男に似合うものといえば煙草である。このこだわりこそが昭和の男の証なのである。

 私は小学三年から煙草を吸っている正真正銘のヘビースモーカーである。今でも結核と煙草に因果関係があるなんて信じていない。

 煙草で死ぬなら本望だと八十年以上の長きに渡って煙草を吸ってきたのだから煙草が健康に悪いわけがない。むしろ長生きの秘訣だと私は本気で思っている。

 和田医師が言っていたことを守り続けることが、いかに難しいか、すぐに私は思い知らされることになる。

「もし死因が煙草が原因の病気なら拍手で葬式を祝ってやる」

 そう、息子にも皮肉を言われたが私は意に介せず

「あぁ、俺がもし肺癌で死んだら。葬式は皆ネクタイは白一色でお祝いに来てもらいたい」

 そんな軽口をたたいたものである。

 さて、私はその足で、我がサンネームに戻ることになった。そう私とまさ子が約六十年の歳月を経て建てた我が居城である。

 しかし私は自宅に帰ってひとりで生活できそうには思えなかった。そもそもひとりではトイレに行くのも心配であるし、病院ではベッドに座っていさえすれば時間となれば下僕が三食を間違いなく運んでくれる。
 自分で車に乗って運転をし、スーパーに買い物に行き、家に帰ってから調理をして…などできるとはとても思えなかった。そもそも入院中に免許証は切れてしまい、更新する気もさらさらない。
 病院の生活は過酷ではあったが、誰かに身の回りの世話をしてもらえるということがこんなに楽になるとはついぞ思いもしなかったのである。

 私は息子に頼んで病院並みのサービスが行き届いた老人ホームを手配してもらい、私は気が向いたらパチンコ、週に何度かはデイサービス・ラスベガスに近い場所を確保してもらった。

『デイサービス・ラスベガス』もはや名前からしても私のためにあるようなデイサービスである。

 入院中に施設を見学した息子に動画を見せてもらったが「パチンコ」「麻雀」「ブラックジャック」と私の人生の縮図がそこにあった。

 残念ながらアラジンAクラシックは無かったが、それはまあ当然だろう。

(横浜地区のパチンコ屋でも数台しか残されていない)

 さて、清瀬から喜多見まで、順調に走ったとしても一時間半はかかる。息子の運転する車は見慣れた街に近づき、いよいよ我がサンネームに横付けした。

──ぱちぱちぱちぱち

 突然の大きな拍手に私は驚いた。

「社長、退院おめでとうございます」

「社長、おかえりなさい」

「社長!」「社長!」「社長!」・・・・

 片手では抱えきれないほどの花束を受け取り、私は

「あぁやっと帰って来たのだな」

「私はこんなにも従業員に愛されているのだな」

 と、私の経営が間違っていなかったことを心から痛感するのであった。

 その日は早速会社の談話室に立ち寄り、用意された寿司をたらふくほおばった。まさにシャバの味である。

 病院で出される食事と言えばモヤシにモヤシにモヤシであった。

「人間は食えなくなったら終わりだな」

 しみじみそう思うのであった。
 ひとりひとりから心のこもった退院祝いのプレゼントをもらった。会社を手伝ってくれていた息子からは醤油一リットルと、日本の味セレクト三陸魚介盛り合わせ~猫用~であった。

 まったく、社長のことを何だと思っている息子だ。実の息子でなかったらとっくにクビにしておくところだ(二回目)

「社長、そろそろドラミが会いたいって言ってますよ」

 そうなのである。ここ喜多見には私にとっては今や孫よりもかわいいドラミ(愛猫)がいるのである。

「ああ、そうだな。みんなの顔も久しぶりでとてもうれしかったが、俺が今一番会いたいのはドラミだ。あの子のお陰で俺はコロナを超えられたと信じているからな」

 入院期間で弱っていた足を引き摺り、何とか二階にある自宅に入ると息子がどこかに隠れていたであろうドラミを連れ来てくれた。ほぼ三か月ぶりのドラミとの再開であった。

「ナ~」

「ドラミ、どうしてたかいじめられてなかったか?」

「ナ~」

「そうかそうか、俺のこと忘れてしまったか」

「ナー」

 猫はどこまで行っても猫なのである。久しぶりに会ったとしてもドラミはひたすら迷惑そうな顔をして、もともと抱かれるのが嫌いな猫だったが、私の膝の上を早く逃げ出したくて必死だった。

「まったく猫ってやつは・・・・」

 ドラミは人が多いのも嫌いである。私の膝を降りたかと思うと窓の外に向かってじっと立ちすくみ

「ナー」

 と言って窓の近くにいた人間に開けるよう要求し、開けるとサッと飛び出してしまい、その日はもう帰ってこなかった。

「俺のドラミ・・・」

(私の観察分析によると、ドラミは一度でも嫌な思いをすると、その日は夜になるまで家に帰ってこなくなり、腹が減ると帰ってきてじっと私を睨みつけて嫌々エサを強請るのである)

 その日は盛大に親族に集まってもらい宴会を開いていただくと私はしみじみ

「あぁ、やっと帰ってこれたのだな」

 と感じるのであった。

 私はまさ子の遺影に向かって線香を手向けると、そのまま息子の車に乗って私の次の居城となる、老人ホームに向かった。

 そこは横浜の繁華街の中心地にあり、近くにはパチンコ屋まであるという私にとってはとても住みやすい環境のようだ。

 そして、退院した翌日、老人ホームで初めての朝を迎え、久しぶりに自由の身になった私は重い身体を引き摺って何とか最寄りのコンビニまで出向くことにした。

 想定外だったのは、私が施設の外に出た時に次男と鉢合わせしてしまったことだ。しかし私は

「ティッシュを買いに行く」

 とだけ、息子に伝え、独り歩き出した。

 そして、コンビニに着くなり、私はかつて入院する前に必ず手ぶらでレジに行きこう言った。

「セブンスター」

 そう、私は『昭和の男』である。

 昭和の男はたとえ命が削られようとも煙草を決して手放してはならない。煙草に手を出さないということは、先に死んでいった友たちへ申し訳さえつかない。

 しかし、入院三か月は私に相当のダメージを加えていた。たった百メートルほどの距離のコンビニから施設に戻る際に、足元でバランスを崩してしまう。

「あぶない!」

 私を心配して寄り添ってくれた息子が何とか支えてくれて地面に激突せずに済んだ。そして息子の妻、つまり義理の娘が施設から車いすを抱えて飛び出してきた。

 私は何とかその椅子に座ると、諦めて何も言わなかった息子にこう言った。

「頼むから黙って、俺をパチンコ屋に連れて行ってくれ」

 息子はじっと私の細い目を睨みつけていたが、最終的にはやれやれと言った感じでため息をつくと、その通りに車いすを押しながらパチンコ屋に向かってくれた。

 そして、私は静かに車いすから立ち上がると、パチンコ屋の角にある喫煙所に向かい、三か月の時を経て私は何とか楽しみにしていた煙草に火をつけることが出来たのだった。

「尾上さん、もう二度と煙草は吸ってはダメですよ。つぎに吸ったら死にますよ。」

 私の体内に潜り込み、命をかけて救ってくれた和田医師やその兵士たち。彼らの命なんかより『昭和の男』はこの一服に命をかけるのである。

 ──これで死んでも構わない。

 そう思ったのだが、あの七十年前に結核から退院後に三軒茶屋の街角で吸った一年ぶりの煙草を同じ印象を感じてしまった。

「ま、まずい」

 私は肺一杯にすった煙草の煙にかつてのような味わいを全く感じず、ただ目に染みるだけだった。

 しょうがない。私を媒体として和田医師と清瀬病院の戦士たちが結核菌に勝ったのだから、結核菌にもひとつだけ勝利を与えてあげるとするか。

 私はそこで一生死ぬまで絶対にやめないと心に決めていた煙草をついに辞めることに決断をしたのだった。

 退院して久しぶりの煙草でクラクラしたというのもあるが、私は結核に負けてやめたとは絶対に言いたくない。
 そのため、二十一世紀の科学では煙草は健康に悪いため、長生きをする健康の秘訣として辞めたということにしよう。

 よし、そうしよう。

 そうして、私は今コンビニで買ってきたばかりの煙草をパチンコ屋の喫煙室のゴミ箱に…捨てるのはもったいないので施設に持ち帰ることにして調子がよくなったらまた吸おうと心に決めてパチンコ屋を立ち去…ることはやめてアラジンAクラシックの元に向かうのであった。

 この日は三万円ほど使って、三万円ほどが帰って来た。

 さて、このたった一本の煙草が私の中の奴らを再び目覚めさせ、さらに私や私の家族、そして東京病院の戦士たちを恐怖のどん底に落とし込むのだが、これをまた次回の話に回すことにしよう。

 人類はこの病原菌に勝利した。と思われていた。しかし、死んだと思われた結核菌が進化し、かつてない恐ろしい姿となって帰ってくるとは…。

 どこからともなく現れる死神のような菌たちが、再び「私」の命を狙う。そのとき、和田医師の言葉がどれほど重要な意味を持つのか。

 果たして、私は今度こそ完全にその脅威から抜け出せるのだろうか?

 次回──時空を超えた生還。お楽しみに!

目次 第三十五話