novel-28

第二十八話 ネコとカラスと孫との絆

 さて、あまりにも悲しい話が続いたので、時を少し戻しホンワカした話をしよう。

 昭和の終わり──まだ木造の尾城製作所だった頃のことだ。

 建物はだいぶ古くなっており、木造で隙間も多かった。そのため、喜多見の工場には毎年のように野良猫がやってきては、ちゃっかり居着くようになっていた。
 ちょうど繁忙期とも重なったため、まさに「猫の手も借りたい」状態だった。
 もちろん、猫が手伝ってくれるわけはないが、従業員たちにとってかけがえのない癒しとなってくれた。

 そんな“猫工場”の始まりは、昭和五十五年ごろのことだろうか。
当時、私もまさ子もまだ四十代で、工場の最前線で現役バリバリだった。

 きっかけは、野沢にある実家で面倒を見ていた野良猫が産んだ子猫だった。
 それを、まだ幼かった子どもたちが喜ぶだろうと思い、軽い気持ちで工場に連れてきたのがすべての始まりである。
 ──今思えば、なんとも無責任な話である。

 猫の名前は「クー」といった。野沢で産まれた黒猫の兄弟のうちの一匹である。
 みるみる巨大な体躯に成長した、堂々たるオス猫だった。
 当時はまだ、「室内飼い」や「去勢」などという概念もなかった時代である。だからクーも、好き放題に外へ出していた。

 すると、体中を傷だらけにしながらも、どこからともなくメス猫を連れて帰ってくるのだった。

「そういえば、こいつ三軒茶屋出身だからな」

 そんなふうに、自分自身と重ねて見てしまうのである。

 ある日、クーは小柄で目の大きな、愛くるしい三毛猫のメスを連れ帰り、子を産ませた。

「まったくクーの野郎、目の大きな女まで連れてくるとは……そこまで私に似なくてもいいのだが」

 その子猫たちには、オスとメス一匹ずつ。「ジャック」と「ラン」と名付けた。
母猫には「ミー」と名をつけた。

 ミーは体は小さいながらも、非常に気の強いメスだった。
 ジャックとランの成長を見届けると、見事な親離れを遂げ、近づいてくるジャックに「シャーッ!」と威嚇し、猫パンチを食らわせるほどだった。

 その姿はまるで、私をキセルで殴りつけた母・よし そのものであった。

 ミーはその後、自らのエサ場を確保したのだろう。ある日、ふいに姿を消した。
死んだかと思っていたが、数年後、ひょいと帰ってくる。
 どうやら近くの砧浄水場の管理棟の人にエサをもらって暮らしていたらしい。
 その人がいなくなったため、エサ場を失い、まるで何事もなかったかのように我が家に戻ってきたのだ。

……全く、メスという生き物は強かなものである。

 そうこうしているうちに、クーはまた別のメス猫を連れてきて、新たな子猫を産ませた。
 全く三軒茶屋生まれは本当によくモテて困るなあ。

 クーは喧嘩にも強く、顔や耳にケガをして帰ってくることが多かった。
 その姿を見るたびに、私も三軒茶屋で悪さをしていた頃を思い出さずにはいられなかった。

 こうしてみると、クーはどこか、かつての仲間のようにも思えてくるのだから面白い。

「警察の世話にだけはなるなよ」

と、当時クーにはよく言ったものである。

 そうして気がつけば、クーを起点に始まった我が家の猫は、総勢八匹以上を超えていた。
 「以上」と言っているのは、たぶんクーのことだから、きっと外でもどこかで子をこしらえているに違いないからである。

 ……なお、私はクーのように、よそでそんな行為をしていたわけではない。ご安心いただきたい。

 ……た、たぶんだが。

 ミーが置いていった子猫のジャックとランは、典型的な“家猫”になった。
人間をまったく怖がらず、道行く人に「ニャー」と挨拶しては撫でられていた。

 とくにジャックは、まさ子によく懐いていた。
 尾城製作所からサンネームにかけても経理を担当していたまさ子の仕事中だろうが何だろうが、お構いなしに膝の上、あるいは帳簿の上にどっしりと座るのである。

 まさ子もまんざらではなく、「かわいい、かわいい」と何度も繰り返していた。

 しかし、猫の世界もまた、厳しいものである。
 ある日、ジャックが外から来たオス猫の喧嘩に巻き込まれ、屋上の屋根から一階へと転落してしまった。

 さすがに、二階相当の高さからの転落は猫にとっても大きな衝撃だった。
 このとき、左足を大腿骨から複雑骨折してしまい、獣医からは「もう歩けない」と宣告された。

 歩けなくなったジャックの姿を見て、まさ子は泣く泣く“安楽死”を考えた。
 けれど、息子たちが「動物のたくましさに賭けてみよう」とまさ子を説得し、家族でリハビリをさせることにしたのだった。

 すると、どうだろう。
 ジャックはまるで何事もなかったかのように、普通の生活に戻り、やがて若干のびっこを引く程度で歩けるまでに回復した。

 医者から「もう手遅れです」と言われたとしても、それをあっさりと覆すのだから、生命とは本当にたくましいものである。

 ジャックはその後、およそ十五年を生きた。最期は老衰だった。
 そのときのまさ子の落ち込みようといったら、見ていられないほどだった。
 実の父が亡くなったときでさえ見せなかった涙を、何日ものあいだ流し続けてたのである。

 八匹いた猫たちも、やがて一匹また一匹と寿命を迎え、徐々に数を減らしていった。
 そのたびに、まさ子は猫の看取りをしてきた。

 よく「猫は死に目を見せない」と言うが、あれは単に、体力が尽きた猫が戻ってこられずに、人知れず息を引き取るからだ。
 飼い猫であれば、ふつうに家で亡くなるのである。

 悲しい別れを何度も経験してきたまさ子は、「もう二度と猫は飼わない」と固く誓っていた。
 それも無理からぬことだった。

 そんなある日のこと──平成二十六年。
 私ももうだいぶ年を取り、現場を離れ、社長業だけを続けていたころの話だ。

 ──我が家に一匹の猫がやってきた。

 その日、私はいつものようにベランダに立ち、足下ではなくて空を見上げていた。

「カー助~」

 そう呼ぶと、どこからともなく黒い翼を広げたカラスが飛んできて、皿に入れてあげたパンの耳をついばんでいく。
 我が家に猫がいなくなって数年が経った日のことで、多摩川に近いサンネームのベランダには季節ごとに様々な鳥がやってきていた。
 基本的にはスズメが多いのだが、やはり強いのはカラスである。二羽ほどいたカラスを特に識別せずにカー助と呼んで可愛がっていた。
 しかし、その光景を黙って見ていた者がもう一匹いたのである。

「あれ? なんかヘンテコな猫が来てるな……」

 一匹のやせ細った野良猫が、カー助のために置いたパンを、夢中で食べていたのだ。

「こらこら、俺のカー助のパンを盗み食いしやがって。なんて泥棒猫だ。しっし!」

 私はその猫を追い払い、カー助のパンを守った。
 それをまさ子に話すと、彼女は目を潤ませながら言った。

「お願いだから……猫はもう勘弁して。もう二度と死に目なんて見たくないから追い払って」

 半ば泣きながら、私に訴えたのだった。

 ある日、たまたま遊びに来てこの野良猫を目撃した孫が、次の週末にキャットフードを持ってやってきた。

「じじ、これあげて! 猫ちゃん、喜ぶよ!」

 まさ子は「もう猫は飼わない」と決めていたのでどうしても猫を家に入れたがらなかったが、孫はベランダにキャットフードをお皿に入れて置いた。でも野良猫は決して食べようとはしない。お皿が人間のそばにあるからだ。
 孫はそっとベランダの窓を閉め、じーっと待った。すると野良猫はノソノソとエサの入った皿に寄って来てポリポリと食べ始めたのである。

「じじ、ばば、ちゃんとこのキャットフードあげてね」

と、孫は自分の家に帰って行った。そこには二キロは入ったキャットフードの袋が残された。孫が買ってきたものなど、勝手に捨てるわけにはいかない。

「どうするよ、これ」

 もはや若かった時のときめきなどなく、二人で目を見合わせながら途方に暮れた。
 仕方ないので、キャットフードはカー助とこの野良猫に消化してもらうことにしたのだった。

 孫は毎週のように野良猫の様子を見に来て、ちゃんとベランダのそばにいることを確認して、何度も撫でるのにチャレンジした。

 ある日、孫がいつものようにやってきて、ガラス窓の向こうでキャットフードを置き、ガラスを閉めると食べにくる野良猫の目の前でそーっとガラス戸をあけてみる。そして孫はそーっと手を伸ばし頭を撫でた。野良猫はまんざらでもなく、撫でられるのをよしとした。
 孫はさっそく買ってきたノミ取り櫛で背中を撫でる。そうなるともう孫の手の平の上である。野良猫はおなかを見せるほど気持ちよがり終いには抱かれるのも許すようになった。

「やめてよもー」

とまさ子も絶叫したが、

「おいで~」
孫の呼びかけに、冷めた目で応えて近寄ってくる野良猫。

「ばば、そういわず抱いてごらん」

 という孫の説得と、その愛嬌たっぷりの姿に、抱いた瞬間にまさ子も一瞬で陥落した。

「わかったわよもう!飼うわよ飼うわよ!もううちの子よ!」

と、ついに我が家の家族に迎え入れることを決めたのであった。

「俺のカー助・・・」
(私の観察分析によると、カラスよりも成猫の方が強く、猫がいると鳥類は一切ベランダに近づかなくなる)

 最初、私には全く懐いていなかったその野良猫ーーーメス猫は孫が好きなキャラクターであるドラえもんの妹の名前を拝借して『ドラミ』と名付けられた。

 ドラミはすっかり家猫になり、まさ子にも良く懐き、まさ子の行くところ行くところについて回った。まさ子もまんざらではなく

「ドラちゃん、かわいい、かわいい」

 と繰り返した。

 子供たちも独立して孫たちもたまにしか来なかった我が家はすっかり明るくなり、孫たちもドラミ会いたさでよく家に遊びに来るようになった。まさに『招き猫』である。

 まさ子はいびきがうるさいことと、寝る時にラジオを付けっぱなしで寝る癖があったので、ドラミはそれを嫌ってか嫌々そうに夜は私の部屋に来て寝るようになった。こうなると猫の可愛さは恐るべしなのである。孫よりもかわいいと思うようになってしまうのだから始末に負えない。

 ドラミはまさ子が「もう二度と死に目を見たくない」といったまさ子より長生きした猫である。

 大磯にまさ子と二人で作った二人の墓に、まさ子の骨を納骨するときに私がまさ子と一緒に居てほしいと願って骨壺に忍ばせた唯一の写真が「ドラミ」であった。
 ドラミはまさ子が入院し、コロナで誰にも会えないとき、私の唯一の話し相手になってくれた。

 私が「俺のカー助のパンを盗み食いしやがる泥棒猫め」と言ったその日には想像すらできなかったことであった。そーだよね、なぁドラミ?

「ナー」

※ドラミは冷めた目で私をみつめニャーではなく「ナー」と鳴く

目次 第二十九話

ホーム