第二十四話 金庫番と約束手形
株式会社サンネームの社長をやりながら、現場では職人の技術指導もしていたのとは別の顔として、世田谷・玉川地区の中小企業を支える「玉川民主商工会」の会長として、いわば“地域の金庫番”も務めてきた。
そんな中で、数えきれないほどの「倒産」という悲劇を見てきた。もちろん、誰も好き好んで倒産なんかしたいわけじゃない。だが現実には、資金が尽き、倒れていく会社はあとを絶たなかったのだ。
そして、その最大の原因──私の経験上、約束手形の不渡りである。すなわち巻き込まれ倒産なのである。
私はこの現実を嫌というほど見たから、
「絶対に約束手形は切らない」
そんな鉄則を、サンネームの経営に叩き込んできた。
資金が足りない?先送り?──ダメだ。
今ある現金でやりくりする。それだけは死守しなければならない。
「手形」というものは、資金繰りを楽にしてくれる甘い誘惑に見えるだろう。だが、自分だけでなく、相手にも迷惑をかける。
人とお付き合いしていく中で、それだけは絶対にやってはいけない。
いま思えば、この地道な経営を徹底したからこそ、サンネームは六十年続いてこれたのだと思う。
結局、会社を倒すのは“未来に投げたツケ”であるのだ。
ー今月必要なものを買って、今月払うー
たった、これができれば、少なくとも資金ショートで沈むことはない。
地域の中小企業の金庫番として多くの会社を見てきた私の印象だと、
「支払いを先送りして、忘れて、首が回らなくなる」──これが典型的なパターンだった。
さらに言うならば、入金も忘れてしまえばいい。例えば私は、手形をもらったら、即座に銀行へ持っていくことにしている。そうすれば忘れた頃に、銀行が責任をもって入金してくれる。
まるで降って湧いたお小遣いが、通帳に振り込まれたかのような錯覚に陥る。
これなら安心だ。
とはいえ、そんなサンネームにも、取引先の倒産で不渡りを食らったことは一度や二度ではない。
胃がキリキリする思いを何度も味わった。
そのたびに、私は心に誓うのだ──絶対に約束手形には頼らない、期待しないと。
これが、長く経営を続けるための極意だと私は今も思っている。
さて、そして、金庫番といえば、国にもいる。そう、税務署だ。
サンネームも法人である以上、ちゃんと税金は納めている。
……が、過去には何度か、あの憎き(?)担当者たちが来やがった時にはいろいろとけちょんけちょんに・・・
・・・・おっと、いけない、失礼いたしました。今のは冗談でございます。
お忙しい中、わざわざ税務署の皆様にご来社いただいているのですから、口調も丁寧にさせていただかなければ罰が当たるかと存じます。
改めまして、私にとって非常に大切なご友人である税務署の皆様に、何度かご来社いただき、お話をさせていただく機会を頂戴いたしました。
なお、先方のご感想は私にはわかりかねますが、当社といたしましては、遠方からわざわざお越しいただいた税務署の皆様とお話しできるだけで、心から光栄に存じ、大変充実した時間を過ごさせていただきました。
「ぜひ来年もお越しください」
とお伝えさせていただいたのですが、お忙しいご様子で、なかなかご来社いただけず、大変残念に思っております。
さて、私ですが、玉川民商の会長を務めさせていただいており、玉川税務署の皆様とは、さまざまな業種の方々とともに節税対策についてお話を進めさせていただいた経験がございます。
当社の管轄は世田谷税務署となりますが、どこでそのお噂をお聞きになったのかは存じ上げません。ただ、先方も少人数ではなく、四~五名の方がご来社されることが多くございました。
もちろん、私めが玉川民商の会長を務めさせていただいておりますことを、あらかじめご承知の上でお越しくださったのでございますから、私どもとしても、それ相応の礼儀をもってお迎えし、対応させていただかなければならないと存じます。
いえいえ、これは当然のことでございます。双方とも、それなりの地位と責任を担う者同士でございますゆえ、不毛な争いなど起こすつもりは毛頭ございません。あくまでも、公務に基づく協議として、真摯かつ丁重に話を進めさせていただいておりました。
「社長さん、いい加減に認めませんか?この会社のこの帳簿に御社に支払いをしたって書いてあるんですよ」
「さあ、どうして取引のない会社に当社の名前が書いてあるのかが分かりません。そもそも他社の書いた帳簿に何で当社が責任を取らなくちゃいけないんでございましょうか?」
何ゆえかは私めには推し量る由もございません。かような会話がしばらく続いた後、世田谷税務署の皆様は、少々ご不満のご様子でお帰りいただいたようでございます。
もしかすると、当社がお出しさせていただいたコーヒーの風味が、お口に合わなかったのかと、ひどく恐縮しております。その節は、まことに失礼をいたしました。
また、当社の担当税理士が、かようなことを申しておりました。
「税務署が認めれば、それは脱税ではなく、節税ということになります」
金の亡者……いえいえ、国の大切な財産を守る金庫番であられる税務署の皆様から、厳しいお言葉を数々賜りながらも、それを耐え忍び、皆様に大変なご迷惑をおかけし、お怒りのご様子でお帰りいただいた、あの長い長い会議の後……
そんな私の姿を目にした女房のまさ子は、その日の夕餉の席で、
「惚れ直しちゃった」
と、言ってくれたのでありました。
(おっと、税務署様がお帰りになりましたので、口調は元に戻させて頂く)
さて、肝心の私の会社である尾城製作所の設立当時からこの日まで金庫番といえば、このまさ子であった。
元々夫婦そろって中学しか出ていないし、難しい計算などは二人とも苦手であったが、私はまさ子には命令し、民商にも経理の勉強に行かせ、夜も寝るのも惜しませて経理として働かせた。それもほぼ一人でやらせていた。
最大で四十人もの従業員を抱えたときも、愚痴をこぼしながら、いや、しょっちゅう文句は言いながらも、まさ子は何とか一人で経理をこなしていた。
まさ子の弟がサンネームで働いていたとき、こんなことを言った。
「姉ちゃんは、金の勘定してる間はボケねえ」
──この言葉を、まさか数年後に痛感することになるとは思いもしなかった。
私は尾城製作所設立当初から、会社と私自身の金の勘定はほとんどすべて、まさ子に任せていた。
いいか悪いかは別として、『昭和の男』の女房である以上、旦那の命令に従うのは当然だ。
ここであらためて言っておくが、私は『昭和の男』である。
私の常識は、あくまで昭和だ。
令和だかヘイセイだか知らないが、新時代の常識を押しつけられても困る。
女房は男についてくればいい。口応えは許さない。言うことを利かぬなら拳で黙らせる──私はこのやり方でやってきた。
そして困ったことなど一度もなかった。たとえ相手が役所であろうと税務署であろうと、信念を変えるつもりなど毛頭なかった。
だから、まさ子が簡単なミスを繰り返すようになっても、深く考えなかった。
帳簿の数字が合わない、大事な手形を失くす──
それでも私はただ「しっかりしろ」と叱るだけだった。
まさ子はぽつりと、「もう、計算がうまくできない」と漏らし、ついには「そろそろ引退したい」と口にするようになったが、それでも私はろくに耳を貸さず、冷たくあしらっていたように思う。
しかし、業務に支障が出るようになり、私はついにまさ子の引退を認めざるを得なくなった。
──だが、そこからだった。
まさ子の衰えは、驚くほど速かった。
日常の些細なことすら忘れ、体も思うように動かなくなり、長年患っていた糖尿病も悪化して、ベッドから起き上がれなくなった。
どうしていいか分からなかった。
長男に電話して救急車を呼ぶことになっても、どこかで「何苦しそうにしているんだ。俺の夕飯を準備する方が先だろ」と、テレビのシーンでも見ているかのような、現実感のない錯覚を抱いていた。
だが、まさ子はそのまま家に戻ることはなかった。
こんな未来を、誰が予想できただろう。
まさ子が「金庫番」の仕事を手放したその瞬間から、二人の生活はあっという間に変わってしまった。
それでも私は、「すぐ退院して、俺の飯の準備に戻ってくる」と、根拠もなく信じ込んでいた。
昭和の男として、すべてを支配し、すべてを決断するのが自分の役目であり女房は黙って従うものだと信じていた。
だが、これが全くの間違いだったことを、すぐに痛感することになるのだ。
まさ子は、ただの金庫番ではなかった。家を支え、未来を守り、私の知らないところで暮らしを守ってくれていたのだ。
一人で自分の食事を作り、独りで寂しく食べることが、これほどまでに大変で味気ないものだったとは。
私はこの歳になって、ようやくそのことを思い知った。
まさ子の病状はなかなか改善せず、二度の転院を余儀なくされた。
やがてほとんどベッドから起き上がることもできなくなり、反応も乏しくなって、寝たきりの状態になってしまった。
──しかし、である。
入院直後に始まったコロナ禍のため、面会もままならないまま、年月が過ぎた。
そして、コロナがようやく収束しかけたころ。入院から三年が経っていた、ある日のことだった。
いつもは面会に行くと、ベッドで天井をぼんやり見つめているだけだったまさ子が、その日は車椅子に座り、談話室でにこやかに話していたのだ。
私は驚いてまさ子に話しかけると、
「あら、今日が面会日だったのね」
と、まるでこの数年間の病床生活が嘘だったかのような口ぶりで答えたのだった。
まさ子は見違えるほど体調を回復してきていた。
認知機能も大きく改善し、普通に会話も成り立つようになっていた。
これには担当医も驚きを隠せず、
「普通はここまで回復することはありません。奥様の体力が病に打ち勝ったのでしょう」
と、すでに退院に向けたリハビリの相談を始めるほどだった。
──これは、決して偶然ではなかったのかもしれない。
私は、まさ子の認知が回復し始めたのを機に、あちこちに散らばっていた貯金の整理を始めた。
「たしか、ゆうちょにはいくらか残っていたはず……」
「同栄信用金庫にも定期があったわね。え?今はさわやかっていうんだっけ」
二人で──いや、実際にはまさ子がコツコツと積み上げてくれていたその貯金は、まるでリスが地面に埋めたドングリのように、時を経て忘れられていたが、
今、しっかりと芽を出し、思いがけないほど大きな樹に育っていたのだった。
「まさ子、これらの定期をまとめたら、こんなになったぞ」
「まあ、そんなに? 二人じゃとても使い切れないじゃない」
「無理に決まっているだろ。今、調子が良くなっているのはこの病院のおかげだから、病院にはもう払う必要はない。だからしっかり良くなって、二人でまた郵便局巡りするぞ」
「そうね。そのくらい元気になりたいわね」
「使い切れない分は、孫たちの教育資金で渡したいのだけどいいか?」
「ええ、もちろんよ。早く元気になって皆で集まってお寿司でも食べたいわね」
私たちはこのように話し、可愛い孫たちが、私たち夫婦がいなくなった後でも安心して学業に専念できるよう、余りそうな額を全額、支援することを決めた。
もちろん、まさ子は入院中で動けない。だから私が銀行に掛け合い、相談し、教育信託の手続きを進めた。
そのくらいなら、私にだってできる。
「大変でしょ。でも、よろしくお願いしますね。……それにしても、そんなにお金あったなんて、不思議ね」
──まさ子は、元々大きな目をさらにまん丸にして、驚いていた。
私は、その時の顔を一生忘れないだろう。
──お前が私の金庫番として、せっせと貯め込んでくれていたおかげだ。
こうして私たちは、すべての貯金を整理し終わり、そのほとんどを教育信託として孫たちに託すことができた。
すべての手続きが終わったのを見届けたあと、私は最後の報告のため、病室のまさ子のもとへ向かった。
「お疲れ様でした。これで、やっと私の金庫番としての仕事も終わりね」
まさ子は、まるでそう言うかのように、穏やかに微笑んだのだった。

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