novel-20

第二十話 佐渡とカモメと烏賊釣り漁船の灯り

 私は生粋の東京人だ。ただし、戸籍謄本上の出生地は神奈川県の大磯になっている。

 歴史に詳しい人ならご存じかもしれないが、尾上(おのうえ)は、東海道五十三次・大磯宿にあった脇本陣を営んでいた一族で、その起源は尾上宿にさかのぼる。

 父・昇の世代には、すでに大名行列などはとうの昔に廃れ、家族や親戚一同はみな東京へと移り住んでいた。
 父たち祖先がどのような経緯で東京に移ったのか、全員すでに墓の中であり、今となっては知るすべもない。
 現在、大磯に残っているのは、菩提寺の地福寺と親族の墓、そして自分が入る用にこしらえた墓だけである。
 よって、生まれ育ったのが三軒茶屋である以上、私には「故郷」とか「田舎に帰る」という概念がなかった。

 まだ私が山本や結城と知り合って間もない昭和三十一年、私がまだ二十二歳頃の話である。

「稲刈りが近づいてきたから俺、佐渡に帰る」

 緑伸会で知り合って友人となった佐渡出身の大工見習いをしていた山本が、夏も終わりの頃、こう言い出した。

「あれ?お前ついこの間、お盆に田舎帰ってなかったっけ?」

 当時、交通機関も不十分であり、佐渡とはとても遠い場所にある、いうことだけは理解してたが、そんなにしょっちゅう帰れるような場所には思えないし、丁稚奉公している身では交通費を捻出するのは大変だろうと容易に想像できたので、私と結城は不思議な顔で、年に何度も佐渡に帰るという山本に聞いた。

「田植えと稲刈りの時期はどんなに忙しくても親戚中で協力し、部落の田んぼ全部に終わるまでは東京には戻れねえんだ。参加しないと村八分になっちまうからな」

 都会育ちの私には、そんな風習はまったく馴染みがなく、「へえ、そんなものなんだ」と軽く聞き流した。私はふと思いつき、

「じゃあ俺も会社の休みを取って佐渡へ手伝いに行くぜ! そしたらお前も早く東京に戻れるだろ?結城も行こうぜ」

「いや、さすがに大学の授業に出なかったら留年してしまうので無理だ」

 と、いうことで、私が一人で山本に付いて行って手伝うことにしたのである。
 何しろ「旅行」がまだ一般的ではなかった時代の話だ。私は早速、工場長に許可をもらい、野沢の自宅に帰り、荷造りをした。そして、新幹線などない時代、山本と共に上野駅から上越線の新潟行きの普通深夜列車に飛び乗った。山本は当時から毎年何度もこの汽車に乗り、東京と佐渡を往復していた。

「なんだか、旅に出るって楽しいなあ」

 私がウキウキしている隣で、山本はぐったりとした表情を浮かべていた。不思議に思ったが、その理由はすぐに分かった。

 汽車は翌朝になってやっと新潟駅に到着し、そこからバスで波止場へ向かった。運賃を節約するため一番遅い普通の夜行列車で、私は慣れない固い椅子、ゆっくり走る汽車に揺られて、ほとんど寝ることができず徹夜状態で体中ががちがちに痛くなっていた。山本は慣れた様子で、隣でほくそ笑んでいた。

 波止場では佐渡汽船のおけさ丸が停泊していた。生まれて初めて乗るフェリー船だった。
 山本は船の中にある売店で二十円だかで毛布を借り、大人数の雑魚寝部屋の角の特等席に陣取りさっさと横になりいびきをかき始めた。慣れたものである。
 私は初めて乗るフェリー船に興味津々で、船内をくまなく回った。そして売店で売っている「パンの耳」というのに興味を持った。

「これなんですか?食べ物ですか?」

 不思議に思って見つめる私に売店のおばちゃんは笑いながら

「まあ、食べてもいいですけど、面白いですから海に投げてみてください」

 魚でもいるのかな。私は買ったパンを抱えて船の欄干に立ち、ぽいっと海に捨ててみた。

「アーアー」

 船の横を一緒になっていて飛んでいたカモメが今捨てたばかりのパンの耳を、海に落ちる前に空中でキャッチして食べ始めたのだった。

「なんだこれ!」

 私はすぐに売店でパンを複数購入し、船が佐渡に着くまでひたすらカモメにパンを与え続けた。

「アーアー」

 カモメたちは、まるで順番を守るかのように、空中で器用にパンをキャッチする。必死な姿は滑稽でもあり、同時に生命力にもあふれていて、私は初めて見る光景に感動していた。
 カモメたちは、パンを求めて佐渡まで三十キロ以上、フェリーに寄り添って飛び続けるのだった。

 以来、佐渡行きのフェリーでカモメにエサをあげるのは、私にとって佐渡に上陸するための欠かせない儀式となった。

 数年後、ジェットフォイルという高速船が登場し、三時間以上かかっていた航路が一時間ほどに短縮された。しかし欄干がないうえ、さすがのカモメもこの速さにはついてこられず、私にとってはこの儀式ができないことが最大の悩みとなる。

 さて、私が興奮してフェリー内をうろうろしていると、左舷前方に島の影がぼんやりと浮かび上がってきた。最初は丘のように見えたが、次第にその影が濃くなり、巨大な山の姿が現れた。まるで大地そのものが船に迫り、どんどん近づいてくるような圧倒的な迫力だった。

 地図で見ると小さな島だが、巨大な山が島の奥深くに控え、上空へとぐんぐんそびえ立ってくる姿は、まるで空と大地が一体となって船を覆いかぶさるような異様な存在感を放っているかのようだった。
 とても島流しで送られるような場所には見えず、私には大陸そのものに見えた。

「これが、佐渡か…でかくないか?」

 思わず声が漏れた。その広大さと力強さに圧倒された。

「佐渡についたぞ。早く起きろよ。それにカモメ、超面白いな」

「全く興味ねえよカモメなんか。それにまだ着いてねえよ。寝かせろよ・・・」

 と大あくびをするのであった。山本は船が佐渡に着くまで、いや正確には船が島についても毛布にくるまったままで船員に追い出されるまで爆睡していたのである。

 フェリーはやがて、佐渡の小さな玄関口──両津港に到着した。
 港の海は、出発地の新潟港に比べると澄んでいて、磯の香りも漂っていて、まさに生命の気配に満ちているように感じられた。
 一緒に新潟からついてきたカモメたちも、海岸の岩の上で羽を休めている。

「よう、また帰りに会おうな。じゃあな」

 私はそうカモメに声をかけ、山本に連れられて佐渡の大地へと足を踏み入れた。
ここから、山本の故郷の部落まで向かうのだが──それがまた遠い。
 地図で見ると佐渡は東京よりも小さく見えるが、実際にはバスを何度も乗り継ぎ、何時間もかかるのだ。

 山本の故郷は、民話「鶴の恩返し」で知られる片辺という部落だ。山本の母はここ片辺でこの民話の元になった「鶴女房」という話の語り部をしていた。「鶴の恩返し」は情景も豊かに表現しているが「鶴女房」はすごい女房があっさりしていて独特の面白さがある。その民話の里の片辺は、佐渡の大佐渡、つまり島の北側、外海側の小さな村だ。
 とても静かで風情があり、潮の香りと魚介類の香りが漂う本当にいい村だ。

 片辺は、もはやなぜ分けているのか分からないが、北片辺と南片辺に分かれていて全て合わせても百軒に満たない部落であり、ほとんどが親戚のようなものだが、山本は北片辺の出身であった。
 初めて訪れたとき、目の前に広がる壮大な海、背後に迫る急峻な山、そして部落を守るようにそびえたつ巨岩と、どこを撮っても絵になるその光景はまさに「ふるさと」という言葉そのものだった。

 小さくて可愛い山本の女房は南片辺の出身だというが、実際には歩いて五分ほどの南片辺の家から嫁いできたのだと知り、驚いた。

 まだ若かった私は、山本の両親と妹さん、それに山本の女房と子供に簡単に挨拶を済ませ、旅の疲れなど見せることなく、早速片辺の田んぼの稲刈りの準備にとりかかった。片辺の田んぼは海の近くにはなく、裏山を切り開いて棚田とした山の中にあった。そこまで山本の父の車に乗って作業に行くのである。

 都会生まれの都会育ちの私にとって稲刈りなど貴重な経験だ。山本は本当に面倒くさそうだったが、私は楽しくて仕方なかった。そして、一仕事終えた後に壮大な日本海を見ながら食べる新潟米のおにぎりの美味しさといったら、もう他の米が食べられなくなるほどだ。

 稲刈りが終わると、私と山本は父親の車を借り、山本の運転で渓流釣りへ向かった。佐渡の川、というより沢は各部落に数か所流れており、昔はこの沢の水の権利争いが絶えなかったようだ。今は静かなこの沢も海からわずか五メートルほど入るだけで、アユが泳いでいるのだ。

「お前、下手くそだなあ」

 竹に糸を括り付けただけの竿を使い、枝に引っかけて四苦八苦する私を見て、山本は大笑いした。

「なんだこのやろ!」

 負けん気の強い私は、すっかり佐渡の渓流釣りにハマってしまった。
 渓流は世田谷を流れる多摩川とは水の音が違う。台地が呼吸をするような生命の音がする。さらに佐渡では車や工場など雑音がないため、自然の息吹を直接感じることができるのだ。
 海からわずか百メートルで、アユから今度はヤマメやイワナに魚種が変わる。この周辺の沢では、夜になると野生のホタルが光り、まさに幻想の世界だった。

 次の日、豪勢な朝ごはんを取ったあと、山本の家の目の前にある海へ山本の家が持っていた小型舟で出た。箱メガネという木箱の底にガラスをはめ込まれた道具を通して見る海の底は別世界で、魚や海底の様子が手に取るように見えた。そこには背が立つほどの浅瀬なのに、ウニやサザエ、時にはアワビまで、銛で取ることができた。
 岸に上がって取った獲物をその場で食べるのだが、聞くと漁業権があるのでこんな勝手は普通はできないそうだ。

「誰か見回りに来て見つかるんじゃないのか俺たち?やま?」

 と、恐る恐る山本に聞くと、山本はきょとんとした顔で、

「里帰りしているときの見回りはいつも俺だ。」

 と、言った。

 当時も今も高級食材であるそれらを、海岸で食べる味は、まさに野趣に富んだ自然の味がした。

 尾上家では毎年お盆に大磯で墓参りをし、その後、灰色の小石が続く湘南海岸で泳ぐのが恒例だった。
 一方、佐渡の海は浅瀬に幻想的な海藻の森が広がり、あらゆる生命が息づいていた。銛ひとつあれば、その日のおかずに困らない。(ただし河豚には注意。)

 すべてが新鮮で楽しく、自然の豊かさに一生暮らしたいと思うほどだった。稲刈りの疲れも忘れ、朝から晩まで佐渡を満喫した。今思えば、本当に若かった。

 そんな私をよそに、山本はどこか憂いを帯びていた。

「俺は棟梁になって家を建てたい。でも、佐渡では新築の注文は少ない。大工はやっぱり都会でやらなきゃダメなんだ」

「いいじゃねえか、たまに帰れれば。俺はいつでも付き合うぜ」

 山本はにやっと笑って私にこう答えた。

「言いやがったな。その言葉、忘れんなよ。もう嫌だって泣いたって首に縄をつけてでも連れてくるからな」

 二人は壮大な海を眺めながら、遠くの水平線にぽつんぽつんと見えていた烏賊釣り漁船の灯りが水平線いっぱい広がるまで、笑い合った。

 そんな佐渡を満喫しながら山本の家で稲刈りの手伝いをしていてまだ三日も経たない頃だった。

「悪い、よっちゃんよ。今日で東京に帰ってくれないか?」

「え?なんでいきなり。俺なんかやらかしたか?」

「いや、そうじゃなくて、どうも山本の家の稲刈りを手伝っている若い男がいて、どうも片辺全体で俺の妹の婿じゃねえかって噂になってよ。妹が恥ずかしいから帰ってくれっていって泣いているんだ」

「え~!!!」

 山本の妹さんはこの先もこの小さな部落で生きていかなくてはならない。当然、ここで婿を見つけなければならないのである。東京から来た若造に傷物にされたなんて噂がたってしまったら嫁の貰い手がなくなる。小さな部落ではこういった話があっという間に尾ひれをつけて広がってしまうのだ。

「今度は夏に来いよ。海で泳げるぜ」

 と、別れ際に山本が言った。来よう。絶対にまた来るぞと誓うのであった。

 初めて佐渡に来た私は、わずか三日ほどで、後ろ髪を引かれる思いで私は片辺の部落をあとにし、金山で有名な相川までバスで向かい、そこから別のバスに乗り替えて両津港まで戻り、またフェリーに乗り、新潟から一路東京に向かうのだった。
 山本がいない一人旅は心細く、また汽車は全く東京に着く気配が感じないほど遠く感じられた。
 行きの時は気が付かなかったが、山本の実家は東京から丸一日かけてもたどり着けない本当の僻地にあったのである。

 佐渡をものすごく気に入った私は、それこそ何十回という回数、佐渡の北片辺に通うことになる。時には一人で、時には家族を連れ、友を連れ、兄弟を連れ、会社のお得意さんを連れて行ったことも一度や二度ではない。皆、私の知る佐渡の魅力に取りつかれ、繰り返し島にやってくるようになるのだが、最後まで山本は私に佐渡のいいところだけしか見せてくれなかったように思う。

 佐渡の本当の姿、厳しさはそれこそ何十年も経った後に思い知らされるのだが、それは別の話で語ろう。

 山本が棟梁を引退し、故郷である佐渡へ帰ったのは、まだ引退には少し早いんじゃないかと思う頃だった。
 山本が東京を離れてからは、滅多に会うことはできなくなったが、電話でたまに連絡を取り合い、年賀状のやり取りも欠かさなかった。そうして私はいつかまた佐渡を訪ねる日を楽しみにしていた。

 それから何年か経ったある日、子育ても終わりサンネームの事業も安定してきたので、まさ子と一緒に久しぶりにゆっくりと佐渡へ遊びに行こうと計画をした。

 私は佐渡で悠々自適に暮らしている山本に確認の電話をした。

「やま、どうだい?元気にしてるか? 久しぶりにそっちに行こうと思ってるんだが、どうだ?」

「おぉ、元気だぞ。いつ来るんだ?待ってるぜ」

 電話越しに聞こえた山本の声は、以前と何も変わらなかった。
 私も懐かしい故郷・佐渡に帰れることが嬉しくて、その日を心待ちにしていた。

 しかし、その時すでに山本は脳に腫瘍──つまり末期の癌に侵されていたのだ。
 それも知らずに「元気か」と声をかけた私に、さぞ苦しい時期だっただろうに、いつもと変わらぬ明るい声で「元気だぞ」と答えるとは──まったく、なんて奴だ。

 結局、山本とは私が佐渡に行く前に危篤に陥り、遊びに行く計画は葬式に行く形へと変わってしまった。

 山本はまだ六十代だったように思う。きっと生まれ育った片辺の小さな村で、女房と一緒に何十年も暮らすつもりだったのだろうと思う。
 だが、東京から佐渡に戻ってそれほど長くはいられなかった。
 結局、人生のほとんどを別居というかたちで東京で過ごし、一生を終えたようなものだった。

 山本の抜け殻となった遺体に手を合わせるながら、声には出さずに私はそっと呟いた。

「女房をひとり残して逝くなんて……お前は昭和の男の風上にも置けない馬鹿野郎だ」

 だが、そんな山本を責めることなどできるはずもなかった。我々の生きた時代──昭和は、そういう時代だったのだ。
 女房や家族の幸せなど二の次。まずは仕事をこなさなくちゃあいけない。それが昭和の男の務めだった。
 山本も、そして私も、その時代を懸命に生きたに過ぎない。

 帰りの船に乗り、私はぼんやりと遠ざかる佐渡を眺めていた。山本のいない佐渡は、ただの本島から離れた遠い島だ。あれだけ山本と遊び、笑い合った海も、川も、今はただ虚ろに映るだけだった。

 ふと視線の先、水面に羽を休めるカモメの群れが目に入る。波間にたゆたうように浮かぶ穏やかな姿の向こうに、山本の面影が見えたような気がした。

 海風に吹かれながら、ふと、この島に二度と来ることはないかもしれないと思った。
 そんな思いが胸をかすめながら、佐渡の輪郭がゆっくりと薄れていく。遠くでカモメが一羽、海原へと舞い上がる。その白い羽が、山本の面影を滲ませていくのだった。

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