第十九話 友への鎮魂歌
鎮魂歌——「レイクレム」。この言葉ほど、今の私の心情にふさわしいものはないだろう。人間、九十年も生きてくると、同年代の友は皆先に逝き、残された者の方が少なくなっていく。
私には多くの友がいる。そして、その友に助けられながら、ここまで歩んできた。
子どもたちには折に触れてこう語ってきたものだ。
「学校は勉強をする場所であると同時に、友達を作る場所でもある」と。
それは、私自身が友によって支えられ、人生を豊かにしてきたからに他ならない。
私の青春の舞台となり、親友をはじめ多くの友を育んだ世田谷の『緑伸会』。
結婚後は新宿の『緑の会』所属だったまさ子も三軒茶屋に住むようになったため私と一緒に『緑伸会』に参加した。
だが、みなそれぞれ大人になり、家庭を持つようになると、自然と集まる機会が減り、やがて組織は自然消滅した。
「このままでは、みんなと疎遠になってしまうわ」
まさ子の何気ない一言に、私は心をかき乱された。そこで当時の仲間を集め、こう宣言したのだ。
「読書会としての緑伸会は、すでに機能していない。だから、気の合う有志でOB・OG会を新たに作ろうと思う」
私はまさ子に命令し、疎遠になっていた仲間たちに『みのりの会』設立の知らせを送った。
そのおかげで再び絆が生まれ、何かあれば連絡を取り合う関係が復活したのだ。
しかし——その時はまだ気づいていなかった。笑いに溢れ、楽しかったこの集まりが、やがて「不幸の連絡網」になってしまうことを。
「百歳はめでたい」とよく言われる。だが、実際にその境地に立つ人間にとっては、決して手放しで祝える道のりではないはずだ。百年という歳月は、幾人もの愛する人々を死別によって見送る時間でもある。時には友人を、時には伴侶を、そして時には我が子さえも。百年を生きる者は、数えきれぬ別れと対峙する宿命を負う。おそらく、祝われる本人にとっては、苦く切ない記憶の方が多く刻まれているのではないだろうか。
ここで、私の人生において欠かすことのできない若くしてこの世を去った友人の死を記さねばならない。
その男の名は——結城俊和。私と山本の同じ昭和九年生まれの親友であり、私の青春の一頁を共に刻んだ男である。
人生百年と言われる時代だが、彼はその半分にも満たぬうちに、昭和の只中で散った。
結城との出会いは、この『緑伸会』だった。出会った当初は、私も山本も中学を出ただけで、学歴もなく、ただ職人として腕を磨くことに必死だった頃だ。
一方で、結城は大学生。東京理科大学に通うインテリだった。今から思えば、なぜ彼が私たちと親しくなったのか、不思議でならない。後になって彼から聞いた話では、大学生の多くは、私たちのように学歴もなく、徒手空拳で職人を目指す人間を見下していたという。彼はその風潮に疑問を抱き、「本当にそうなのか」と緑伸会に足を運んだのだそうだ。
そこで彼が出会ったのが、我々だった。勉学に励む自分よりも、人生の苦楽を直に味わい、泥にまみれながら生きている姿に、彼は深く心を打たれたという。それまでの彼は、学問こそが人を豊かにすると信じていたのだろう。だが、学歴もなく、ただ日々を懸命に生きる我々の姿が、彼には人間としてずっと重く、眩しく映ったのだそうだ。
もっとも、私も山本もそんな高尚なことを考えていたわけではない。ただ、目の前の仕事に追われ、流されるままに生きていただけだった。それでも、結城は我々に「生きる哲学」を見出したのだという。その純粋さが、彼らしいと今でも思う。
結城は私よりも先に結婚した。だが、親友だからこそ彼は私に結婚式でのスピーチを頼まなかった。あとで理由を聞くと、彼は笑いながらこう言った。
「お前には、俺の言わなくていいことまで知られてるからな。もしあの場でバラされたら、離婚騒ぎになるかもしれなかった」
互いに親友だからこそ、相手が喋るべきでないことまでよく知っていたのだ。
彼は野沢に近い場所で下宿していた。それもあって、ほぼ毎日のように野沢にやってきた。ふらりと現れては飯だけ食べて帰る——そんな男だった。手伝いもしないくせに、まるで家族のように気軽に出入りする。それが結城だった。
彼は都内の一流印刷会社に就職し、すぐに頭角を現し、その会社をさらに大きくするのに活躍した。一時期は営業と職人の二役を担って、客先と工場を忙しく走り回っていた。
私は彼がその会社のプレス加工一式を請け負ってくれという話を聞いて独立を決め尾城製作所を構えたというのは、既に十三話で話した通りである。
結城の誠実さと腕前は評判となり、会社が相模原に新たな工場を建てる際には、陣頭指揮を執り、新設されたばかりの相模原工場の工場長に就任した。
私の会社も彼の助力もあり、着実に大きくなり、彼の会社にも、彼自身にもさらに貢献していこうとしていた。
だが、そんな矢先だった。まだ五十にもならないうちに、彼は癌で逝った。
五十歳を前にした死は、噂ではよく耳にする。しかし、それが身近な人間に訪れると、衝撃はひとしおだった。
当然、死んだ結城の方が無念だったに違いない。やりたいことは山ほどあったはずだ。人生はこれからだったろう。それなのに——若さゆえか、癌の進行は恐ろしいほど速く、我々が知ったときにはもはや成す術がなかったのである。
葬式があったその夜、私は山本と共に作った、まだ木造だった喜多見の自宅に緑伸会の仲間を集めた。皆で盃を傾けながら、結城の思い出話を朝まで語り合った。ちなみに私は飲むとすぐに眠ってしまうので、盃に入っていたのはお茶だった。
「結城ちゃん……まだお前に頼まなきゃならんことが山ほどあるのに……」
山本はそうつぶやく私に、こう言った。
「よっちゃんよ、お前は本当に幸せな奴だ。お前が困ったときには、結城がいつでも助けてくれた。感謝しろよ」
そう言いながら、日本酒の入ったお猪口をグイッと飲み干す山本を見つめながら、私はふと呟いた。
「ああ、俺の将来を形作ってくれたのはあいつだ。あいつがいなけりゃ、この家も工場もなかったし、お前だって棟梁にはなれていたかどうか分からんな」
山本の言葉をぼんやりとかみしめながら、私は──結城に、山本に──本当にいい友に恵まれたのだなと、しみじみ実感するのだった。
声がかすれ、盃がしんとした夜気に滲んでいく。話せば話すほど、なぜ結城が私と山本の隣にいないのかが不思議でならなかった。
やがて山本はすっかり出来上がり、いつものように大きないびきをかきながら眠ってしまった。私は津々と寝静まる夜の闇に思いを馳せながら、結城が私に託してくれたこの工場のことを考えていた。
この工場に灯を灯してくれたのは他でもない、結城だったのである。彼が私に声をかけてくれたことでムサシ電機からの独立を促した。それは、私の人生そのものを変える契機となったのは間違いない。
そして結城が私に多くの仕事を回してくれたことで、この喜多見の土地に大きな工場を建てることができた。
私は真っ暗闇の工場へ降り、電気をつけてみた。油の匂いが漂う中、機械たちはまるで喪に服すかのように沈黙している。
シーンと静まり返ったその空間で、私はそっと機械の冷たい金属部分を指でこつんと叩いてみた。
その瞬間、不意に背後から結城の声がした。
「仕事もってきたぞ。明日の朝一までに納品を頼む」
いつもの調子だった。無理です。厳しいですと抵抗する工場長の河上に対し、結城は笑いながらこう言うのだ。
「ははは、そういわんと頼むよ。よっちゃん、工場長を寝かすんじゃないぞ。じゃあな」
そう言い放ち、ひょいと帰っていく。
思わず、工場の外に出てみた。しかしそこには誰もいない。
それでも私は笑ってしまう。
結城ちゃん——お前と過ごした昭和は、今も私の中で鮮やかに続いている。
それは決して色褪せることのない、私の心の中に息づく鎮魂歌なのだ。彼との思い出は、ここで語り尽くせるようなものではない。
そして、結城のいない歳月は、気づけば随分と長くなった。彼が逝ったのはまだ元号も昭和だった。
それから幾度の季節が巡ったことだろう。世界も様々なことは起きた。しかし不思議なことに、彼の姿は今でもはっきりと脳裏に浮かぶ。そして私も、心はあの頃のまま、変わらず昭和の男だ。
仕事の合間に煙草をふかし、どこか飄々とした調子で冗談を言いあう結城の顔。野沢の実家にふらりと現れては、手伝いもせずに飯だけ食べて帰る結城。そんな結城の横で、飯食いに来たのに調子の悪くなった棚を蚤で調整させられている山本。思えば、あいつらとはいつもそんなふうに過ごしていた。だが、その肩肘張らない自由さが心地よく、私たちは無邪気に笑い合えたものだった。
元号が平成に代わり、喜多見の自宅を丁度、山本と立て替えている時だ。山本と酒と茶を酌み交わしていても、自然と結城の思い出話になる。あいつのことを語り合うとき、私たちは何度も何度も同じ話を繰り返す。だが、不思議と飽きることはない。むしろ、そのたびに彼がすぐそこにいるような気がしてくる。
「結城ちゃん、あの時も滅茶苦茶無理な仕事もってきやがってな」
「おう、あいつなんてよ、勝手に飲み代ツケにして俺に押し付けてよぉ」
くだらない昔話に声を上げて笑うと、まるで結城が隣で一緒に笑っているように思える。私は酔いという感覚がわからないが、ふわっとしたぼんやりとした亡霊が心の中に入り込み、私に語りかけてくる。

「ははは、お前らばっかり長生きしやがって。こっちに来たらヨボヨボの爺いって罵ってやるからな」
そんなふうに笑いながら、私たちをからかってくれるような気がして、思わず心の中で微笑んでしまう。
結城は、あの頃と変わらず、いつまでも若いままだ。だが、その若い結城の姿が、懐かしく感じられることが、無性に切ない。
私は目を細めながらグラス――お茶だが――を傾ける。
すると、ふと遠い記憶が蘇る。若き日の野沢の土間工場、バイクで通った結城の工場。
印刷と鉄の匂いに満ちたあの空気が、静かに私を、夢の世界へといざなっていくのだった。
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