第十話 緑の会と緑伸会
なんとか結核の後遺症も癒えた昭和三十年、私が二十一歳の頃だった。
つるんで遊んでいた友達はいなくなり、ムサシ電機の工場で毎日、歯車のように働き続けていただけの私は、自分の人生に行き詰まっていた。
もともと本が好きで、暇を見つけては本屋に立ち寄り、お気に入りの本を買い、眠くなるまで読みふける日々を送っていた。
そんな時、思い出したのは結核の入院中に読んでいた『人生手帖』という雑誌だった。
時は高度経済成長の真っ只中。
この雑誌は、働く青少年を対象に発行されており、社会が「人生論など無用だ」と叫ぶ潮流に逆らいながら、「人生をどう生きるか」を真剣に掘り下げていた。さらにその思想を広めるため、この頃になると全国に支部を展開し、読書会という集まりを持っていた。
実際にこの人生論という思想について生きている人々と語り合ってみたくなり、私は本屋で最新号を手に取り、誌面に掲載されていた私の生活圏から最も近い世田谷・桜新町地区の『緑伸会』という支部を見つけた。
当時、尾上商店としてトーキー映画などの小道具の提供を生業としていた野沢の尾上家であったので、仕事が終わり、おやじさんから麻雀も誘われなかったとある夜、家に帰り、早速『緑伸会』とある番号に電話をかけてみた。
「すいません、緑伸会の読書会に参加したいんですけど・・・」
「あぁ、是非どうぞ。桜新町からはお近くですか?」
「はい、三軒茶屋に家族と共に住んでいます。」
「わかりました。では桜新町の駅近くにある”吉田時計”というお店まで来てもらえませんか?私はそこの店主をしています吉田と言います」
私は、こうしてその支部で開かれる読書会と名のついた討論会に参加することを決め、すぐに家を飛び出して家から歩いても三十分ほどの桜新町に行った。
世田谷緑伸会の会長は桜新町にあった吉田時計店の店主だったのだが、読書会自体は近所に場所を借りて定期的に開催されていたようだ。

「来週の日曜日に会があるから是非参加してみてください。あなたのような東京で実家暮らしの人は珍しいかも知れないな。皆、基本的には集団就職で上京してきた子たちだから」
その会は、近くにあった日中学園の集会場を借りて、月に数回、若者たちが集まって開催されていた。
読書会とは名ばかりで、実際にはそこに集まったメンバーがそれぞれ社会問題をテーマにして自分の意見を言ったり、将来の夢を語ったりするなど、熱い議論が行われる場だったのだ。
そこで私は、後に生涯の親友となる二人の男と出会うことになる。
ひとりは山本和俊、そしてもうひとりは結城俊和という男だった。山本と結城は私と同じ昭和九年生まれで、私たち三人はすぐに打ち解けた。
「俺は将来、一流のプレス職人になって、自分で製品の責任を持ちたい」
と私は話した。すると、新潟の佐渡出身だという山本は笑いながら答えた。
「お前ならできそうだな。俺は一流の大工として棟梁になり、家を作るんだ」
山本は佐渡に妻子を残し、単身で東京・若林の工務店に丁稚奉公し、タコ部屋で寝泊まりしながら大工修行をしていた。
当時も今も、大工として棟梁になるのは狭き門だ。腕が良ければなれるというものではなく、非常に厳しい職種だった。
「まあ、どんなに腕が悪くても、俺の家を作らせてやるよ。それで我慢しろ、ははは」
山本をこうからかったのは結城という男だった。彼はこの三人の中では断トツのインテリで、緑伸会で親しくなった頃、結城は東京理科大学の材料科学という、なんだか難しそうな学部に通う大学生だった。
「俺は一流の会社に就職して、出世するつもりだ」
結城はそう宣言し、自信に満ちた笑みを浮かべていた。

当時の緑伸会には集団就職として、遠くの田舎から上京した若者が多くを占めていて、そのほとんどが自分の部屋など持たず集団で寮で暮らしていた。
思えば、出身や環境も異なり、置かれた状況さえバラバラな三人だった。しかし、それぞれが非常に強い信念と希望を持っており、同じ年に生まれたという共通点もあって、私たちはお互いに大きな刺激を受け合い、何も隠し立てることなく、屈託なく将来の夢を語り合った。夜が更けるのも忘れ、ただひたすら夢中で話し込んだものだった。
私たち三人は、緑伸会の中でも特に目立つ存在だったようだ。その情熱は読書会に参加した後輩たちの刺激となったと、会長の吉田さんからもよく言われた。
議論は時に熱を帯び、山本と結城が殴り合いの喧嘩になりそうになったことも一度や二度ではなかった。そのたびに吉田さんが仲裁に入ってくれたが、吉田さんは
「そっちの刺激は勘弁してくれよ」
と、苦笑いしながらよくこぼしていた。
当時、このような会は『南部教員会』と呼ばれ、東京の世田谷、新宿、渋谷、杉並など、周辺の区の読書会が集まって、各種イベントを開催していた。各地で業種を問わず、同じ世代の若者たちが集い、熱い議論と共にお互いの夢や希望を語り合うサークル活動となっていたのである。

時折、レクリエーションの一環として、近隣の仲間たちも集め、より大きな規模で討論会が開かれることもあった。
時にはハイキングに出かけたり、芝居を作って披露し合ったり、皆で考えたゲームを企画して遊んだりと、仕事に追われ、生き場を失いかけた若者たちが、思いを発散し、未来への糧を得る場でもあった。
昭和三十三年、二十三歳になった私は、ようやく一人前として仕事を任されるようになっていた。
同時に、このサークル活動ではリーダーを務め、中心的な存在となっていった。 仕事にも人生にも、自信が持てるようになっていた。

その年、世田谷地区の緑伸会と新宿地区の緑の会が合同で集会を開くことになった。
その会に、とびぬけて可愛い女の子が参加しているのに目が釘付けになった。
私の眼は非常に細いので、こういうときにまじまじ見ても怪しまれないのは特権だ。
小柄な丸顔に大きな目を持ち、もちもちとした肌。少し色黒なところが健康的な雰囲気を醸していた。私の目にはまるで南国の光り輝く太陽のように映ったのだった。
尾上一族は面長で目が細いという特徴があったため、この子の顔立ちに強く惹かれたのだ。
私は緑伸会の会長である吉田さんにそっと訪ねた。
「会長、あの色黒の瞳の大きな女の子は誰ですか?」
「ああ、今度緑の会に新しく参加したっていうウィスキー工場の女工さんだよ。なんだい気になるのか?」
「いえ、そんなことはないです。ただ見たことのない顔だなと思って」
私は照れ隠しでそう答えたが、この日は一日中、その女の子のことを見つめていたように思う。
「尾上くんの気になるという子は池袋に住んでいる沼まさ子ちゃんっていうらしい。なんだったら声をかけようか?」
「いえいえ、だからそういうんじゃないですよ」
今思うと、この合同会は、異性と知り合うための貴重な機会でもあったのかもしれない。
「いや、しかし目が大きくてかわいいな」
私はこの日のこの感情を今も忘れられない。この時、彼女はまだ十代だったように思う。
さて、レクリエーションとは言ってもただのお遊びの日もあって、例えば、その場に集まった男女を適当なペアに分けて、順番にどちらかが着ているものを一着ずつ無作為に床に置き、それを繋げていくという遊びなどをやるのだ。
男は遠慮なくパンツ一枚まで服を脱ぎ、男がパンツ一枚になると、ペアを組んでいた女の子にも服を脱ぐように強要するのである。
瞳の大きな彼女にその番が回ってくると、私はいてもたってもいられず、声をかけた。
「かわいそうだから、その辺にしといてやれ」
まるでヒーローを気取って格好つけて割って入り、ゲームを止めたのである。
「ありがとうございます。助かりました。あの、お名前は?」
「いいえ、名乗るような者ではございませんよ」
今思うと、とんでもない遊びなのだが、私はその場の空気を白けさせてしまい、精一杯色男ぶってみたのだが、周りの皆は私のこの態度に心の底から大笑いをした。
何しろ、男前な振りをし、まさ子ちゃんを守った色男は『白のブリーフ一枚で寒そうにブルブル震えた状態』だったのだから、さぞかし滑稽に映ったのだろう。
そこの場にいた全員が、世間の難しい問題をひとときでも忘れて、心から笑いあったものである。

この時のことがきっかけとなり、徐々に沼まさ子と会話する機会が多くなっていった。また、当時、新宿の緑の会の会長は女性だったのだが、緑伸会では事務局長としてリーダーの活動していた私とは仲がよく、私と彼女の間をつないでくれた。
「沼くんは日ごろは休みの日はどうやって過ごしているんだい」
「私にはろくに働かない両親の他に学校に通っている弟が何人もいるので、家の手伝いをしています」
「え?君は家族と暮らしているのかい?」
「そうです。私も東京生まれの東京育ちなんです。でも親はろくに働いていないので貧乏なんです」
「そうか、それは大変だな。何か困ったことがあったらいつでも言ってくれ」
当時の緑の会には地方からの集団就職でやってきた独りで東京で暮らす若者が多かったため、私のように東京育ちで家族と暮らしている人間の方が少なかったのだ。
東京生まれであり、家族で暮らしているという妙な共通点を見つけて私はますます彼女に興味をもった。
しかし、サークル活動でリーダーを務めていた私は、いささか自惚れが混じるが、女性たちからとにかくよくモテていた。自分でも驚くほどに。正直なところ、より取り見取りといった有様だった。
活動が終わると、毎回のように何人もの女性たちに呼び止められた。
「尾上さん、次のお休み、よかったらご一緒にお食事でも」
「ねえ尾上さん、今度どこか遊びに行かない?」
そんなふうに甘い声で誘われるのが日常となっていた。だが私は、そうした誘いのすべてを必死に断っていた。心はただひとり、本命のまさ子に向かっていたからだ。
そのまさ子は、他の女性たちとはどこか違っていた。無理に笑ったり媚びたりはせず、言葉の端々には芯の強さがあり、凛とした雰囲気をまとっていた。
それは女手ひとつで家族を養っているという自信から来るものだろうと私でもわかった。そのため、周りの男たちが彼女に気圧されて一歩引く中、私は逆に引き寄せられていった。
ある日の活動後、意を決して声をかけた。
「沼くん、今日はこのあと、少し時間あるかい?」
彼女は一瞬こちらを見てから、ニコリともせずに私を睨みつけて言った。
「時間ならありますけど……尾上さんが本気なら、の話ですけどね」
「本気って、何に対して?」
「私、遊び相手になる気はないんです。そういうの、やめてください」
まさ子はそう言って、私を睨みつけた。まるで、試すような目だった。
私は慌てて首を振った。
「そんなつもりじゃないよ。ただ、君ともっとちゃんと話がしてみたかっただけだ」
彼女は少しだけ緊張を解いたように頷づき、すぐに話題を変えた。
「尾上さんって、女の人に困ったことなさそうですからね」
「……それって、皮肉かい?」
「いいえ。事実でしょう? でもね、モテる人って、自分を見失いやすいのを私、知ってますから」
その言葉が、妙に胸に突き刺さった。この子は何かが違うと。
それからというもの、まさ子の気を引こうと、私は彼女の前ではいつも気取っていた。目立つようにふるまい、格好をつけ、男前を装っていた。自分なりに、精いっぱいの背伸びだった。
しかし、なかなか彼女は振り向いてくれそうになかったのである。

時代は戦後の傷跡もようやく癒えつつあり、私たち若者は明るい未来に向けて歩みはじめていた。
私自身も、あと一歩で念願の仕上工になれるという手応えを感じていた。仕上工になれば、給与の心配もなくなる。やがては工場長にだってなれるかもしれない――そんな将来すら見え始めていた。
未来は明るい。そう信じて疑わなかったのだ。
そして、あの頃は人生でいちばんモテていた時期と重なり、本命の子に対して積極的大胆なアプローチを続けたのである。思えばまさに、青春の絶頂だった。
――だが、そんな平穏な日々に突如として暗雲が立ち込める。
昭和三十五年。日本を揺るがす『六〇年安保闘争』が巻き起こる。日米安保条約改定をめぐる激動のうねりは、政治の世界だけにとどまらず、私たち庶民の生活にさえ容赦なく押し寄せた。
希望に満ちていたと思われていた未来は、思いもよらぬ激流に呑み込まれようとしていた。
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