novel-04

第四話 仕上工見習いと無くなった小さな螺子

「馬鹿野郎!何やってんだ!」

 工場では朝から私は先輩に怒鳴られていた。

「あぶねえな!気をつけろ!」

 今から考えれば当時の加工機械は大雑把だ。安全のことなど全く考えられてもいなかった。

「ちょっと、今日もプレスに指を挟まれたってよ」

「まじかよ、痛ってえな~また指が短くなっちまったな」

「まあ仕事をしばらく休めるから羨ましくもあるかもな」

「あはははは」

 当時はこんな感じで、怪我するのに職人も慣れ過ぎて、それこそ、ちょっとした油断で怪我をすることなど日常茶飯事だった。

 機械は近隣への迷惑などお構いなしに、ガシャンガシャンと鳴り響き、当時は『公害』なんて言葉さえ存在しない時代、騒音はそれこそ一晩中鳴り響いていた。
 その音を、切り裂くように毎日怒号が工場中に響き渡っていた。
 私も頭ごなしに不条理に怒鳴られ、耳は騒音でキーンとした音が常に聞こえ、手は油にまみれ、あちこち傷が絶えなかった。
 それでも諦めることなく、仕事を覚えようと必死に仕事をしていた。

 そんなある日のことだった。
 工場長から指示された部品を仕上げた私は、そのサンプルを持って工場長に仕上がり具合を確認しに行ったのだが、

「ほお、何も教えてもらわずにここまで仕上げるとは、尾上、お前は意外に器用だな」

 菊池さんという当時の工場長がそう言ってくれたときのことを、今でもよく覚えている。
 褒められるだなんて、全く想像もしていなかった私は、つい満面の笑みがこぼれてしまって、私はうれしさで顔が赤くなった。
 何の取り柄もないと思っていた私が、生まれて初めて他人に認められた気がしたのだ。

「尾上、今はまだ大変だろうけど、腐らずに8年は地道に頑張れよ。俺が仕上工(しあげこう)にしてやるからよ」

 菊池工場長はこう耳打ちしてくれた。

 仕上工とは、ヤスリに始まり、旋盤、シャーリング、フライス盤、プレス機、研磨機、ボール盤、蹴とばしなど──工場にあるあらゆる機械を自在に扱い、製品の仕上げまで一手に任される職人のことだ。
 一般的な工場では、プレス工や旋盤工といったように職種が細かく分かれている。だが仕上工は、それらすべての工程に熟練していなければ務まらず、工場でも多くはいない特別な存在だった。
 8年で仕上工になれるのは異例であり、ふつうは10年以上かけても辿り着けない、きわめて希少な役職だった。

 私は、採用してくれたおやじさんと、私を見捨てずに育ててくれた菊池さんには、今でも心から感謝している。当時、ヤンチャばかりしていた悪ガキを、我慢強く使い続けてくれたのだから、その懐の深さと根気強さには、ただただ頭が下がる思いだ。

 職人としての腕前は菊池さんに、おやじさんは釣りが好きだったので、海へ川へと私を連れて行ってくれたりもした。

 お正月には自宅に招かれ、ごちそうになり、お年玉までもらったこと。旋盤より、ヤスリより、何よりも、そうした温かい人間関係こそが、やさぐれていた私の心を人間らしく育ててくれたのだった。 

 この頃の私は、機械の音よりも、おやじさんの笑い声や、川面を流れる風の音に心を癒されたものだった。

 月日が経ち、私は少しずつ仕事に慣れていった。プレス機の音に耳を澄ませ、金属の感触を指先で確かめる。その作業の中に、どこか美しさと楽しさを見出せるようになってきていた。

 しかし、そんなある日のことだった。

「なんか、おかしいなあ」

ガシャン、ガシャン、ガガガ、ガシャ・・・・

 慌てて工場長に機械がおかしいと報告したが、時すでに遅かった。

 私はプレス機のストロークを調整する螺子を締め忘れていて、それだけならまだしも、生産する不良を目検で確認できず、大量の不良品を作り続けていて、さらにプレス機も動かなくしてしまったのである。

「お前、何やってんだ!尾上!この機械、お前の給料の何年分すると思ってんだ!」

 普段は穏やかな菊池工場長が、珍しく激怒した。

「しょうがねえなあ、おい今からオーバーホールから全部やり直せ!全くこんなんじゃ、仕上工になんてなれねえな」

 その言葉に、私は涙がこぼれそうになった。いや、工場の片隅で実際に泣いたと思う。だが、泣いていても機械は正しく動いてはくれなかった。
 私は震える手で、すぐにオーバーホールを始めた。油まみれになりながら、必死に機械を分解し、泣きながら汚れた部品を磨き、グリスを付け直しては組み立て直した。目に汗と涙が入り、視界が滲んだが、手を止めている暇などなかった。
 とにかく機械を完璧な状態に戻さなければならない──

「くっそ、なんでこんな目に。何で不良だってのをさっさと気付いて機械を止めなかったんだろう・・・」

 私は定時が過ぎても家には帰らず、職場の先輩が全員帰ってもそのまま会社に残って機械のオーバーホールを続けた。

 翌日、誰よりも早く来て、最終的に組みあがったのはその日の夕方近くになってからだった。

 最終的に機械が組み直し、恐る恐る電源を入れ直すと、元の調子のよかった状態の音で快調に動き始めた。

「よしっ!」

 私は、元気よくリズムよく正常音で動く機械にほっとした。

 しかし、私は手元の小さな螺子を見つめて首を傾げた。

「あれ?この螺子……どこのやつだっけ?」

 私は螺子を握りしめたまま、しばらく立ち尽くした。
 私の手元を見て、菊池工場長は苦笑いを浮かべた。

「またかよ、尾上。毎回螺子が増えていくじゃねえか。」

 私は照れくさそうに笑った。当時、私がオーバーホールするとなぜか螺子が1本余るのだ。

「でも、ちゃんと動きますよ。この音を聞いてください。ストローク量だって、ほら正常です」

 私はそう言いながら、プレス機の動作確認を工場長に見てもらった。機械は何事もなかったように動き、非常に美しい製品を抜き出していた。

 工場長も納得したようだった。

「お前は螺子製造機械か。どこから出してきたんだ、それ?」

 工場長が冗談めかして聞くと、私は真剣な顔で答えた。

「きっとこのプレス機は、オーバーホールされるのが気持ちよくて、俺が好きで、毎回プレゼントくれるんですよ」

 その言葉に、工場中が笑いに包まれた。

「あのな、お前、そのうち回転軸を支える螺子がぶっ飛んでおしゃかにするなよ。まあ、いいだろう。このプレス機がちゃんと製品を抜いてくれるうちはな」

 私はほっと胸を撫で下ろし、自分の掌の中にある小さな螺子を見つめた。

「機械は全ての螺子がなくても何とか動く。今の俺はこの螺子だ。でも、大事な螺子だったら、完全にだめになる。。」

 工場長が冗談めかして言ったその言葉が、なぜか深く胸に響いた。

「俺はどんな仕事でも出来るような大事な螺子になってこの工場を支えなくては」

 ──そう心に誓った。

 今から思えば、戦後の荒波をようやく乗り越え、高度成長期へと突き進んでいた時代だった。しかし、当時生きていた私を含め、すべての日本人は戦争で負けた劣等感を抱えながら、「ただ昨日より良くなりたい」と必死に日々を懸命に生きていただけだったのである。

目次 第五話

ホーム